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 日光山輪王寺宝物殿

日光山輪王寺宝物殿 展示

2012年8月10日(金)~10月10日(水)
5代将軍綱吉の書画

 

 5代将軍となる徳川綱吉は、正保3年(1646)3代将軍家光の四男として生まれました。綱吉の兄には、慶安4年(1651)に11歳の若さで4代将軍となった長男家綱、甲斐国甲府城主となり「甲府宰相」と呼ばれた次兄綱重がいました。綱吉は寛文元年(1661)上野国館林城主となり、「館林宰相」と呼ばれるようになりました。

 延宝8年(1680)に4代将軍家綱が亡くなると、次兄綱重がすでに死去していたため、綱吉が5代将軍に就任します。宝永6年(1709)の死去までの綱吉の治世は、その前半は不正代官の処罰や学問の奨励など「天和の治」として評価されますが、その後半は側用人の重用や「生類憐みの令」や貨幣改鋳などの「悪政」と批判される政治に加え、元禄の大地震や宝永の富士山の大噴火などの天災も相次ぎました。

 綱吉の将軍就任後まもなくの天和3年(1683)、武家諸法度の改定が行なわれ、その第1条で、歴代の将軍が「一、文武弓道の道、専ら相嗜むべき事」としてきたものを「一、文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」に改め、武威ではなく儀礼や身分秩序を重視することを宣言しました。綱吉は大変に学問を好んだことで知られます。幕府の正学である儒学を尊重し、自ら儒学の最も基礎的な経典である四書を幕臣に講義したり、湯島に孔子を祀る聖堂を建設して学問の中心地としました。また、儒学の教えを政治に反映させるべく、「生類憐みの令」が出されます。この法令は濫発や急進化により人々を苦しめることに繋がり、後世「天下の悪法」と非難されることになりますが、当初は殺生を慎み、庶民を教化する目的で出されたものでした。

 綱吉の統治した元禄時代は、泰平の世を背景に、新たな文化の芽生えた時代でありました。町人が新たな文化の担い手として登場し、庶民の活気に満ちた生活が文芸や絵画に描き出されました。

 このたびの展示では、戦国の殺伐とした気風の残る世から平和な社会への転換を主導した将軍綱吉の書画をご紹介します。この展示を通じて、元禄文化の一端や好学の将軍綱吉の人となりを感じていただけましたら幸いです。

平成24年8月

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