徳川幕府旧蔵書の流れ　〜葵文庫〜

　平成15年9月20日、静岡県立中央図書館を訪問し、「葵文庫」につき恩田征弥館長、　「葵文庫の会」代表石田徳行氏をはじめ関係者の皆様より懇切な御説明を頂きました。
先行研究の成果を踏まえて徳川幕府旧蔵書の流れを取り纏めた結果が下記の報告です。

1. 　「馬上にて天下を取り、文をもって天下を治める」と述べた家康は慶長7年（1602）江戸城内、富士見櫓に「富士見亭文庫」設立。同文庫は寛永16年（1639）城内紅葉山に移転、「紅葉山文庫」（「楓山文庫」）となり幕末に及ぶ。


2. 　慶長10年（1605）将軍職を秀忠に譲り、同12年（1607）駿府に移り駿府城内に「駿河文庫」設立。金地院崇伝に命じ、院・公家所有古記録、図書を京都五山の能筆に3部ずつ筆写させ、1部を朝廷に、1部を江戸富士見亭文庫に、1部を駿河文庫に納める。
   駿河文庫の管理は林羅山（林道春）。師の藤原惺窩に「この楼に登れば即ち帰ることを忘れ、日の将に入らんとすることを知らざること有り。是れ我が主君の恵にして又僕の一得なり。亦幸いならずや」と書いている。家康晩年、駿河文庫所蔵は約1000部9800冊あり、富士見亭文庫に92部（2455冊）、残りを5：5：3にて尾張・紀州・水戸に駿河御分物として贈与。


3. 　家康は「人倫の道　明かならざるより　自ずから世も乱れ国も治らずして騒乱止む無し。この道理を諭し知らんとならば、書籍より外には無し。書籍を刊行し、世に伝へんは、仁政の第一也」（武野燭談）として活字による書籍刊行を行う。


4. 　慶長4年（1599）伏見城において、円光寺元佶に10万字の木活字を作らせ「孔子家語」「三略」「六韜」を刊行。同11年（1606）までに「貞観政要」「周易」「東鑑」　「七書」を刊行。この木活字本を伏見版と言う。この活字の一部は京都円光寺に現存する。


5. 　駿河では銅活字を用いた。これを駿河版と言う。第一に「大蔵一覧集」を駿府城内にて林羅山の下、臨濟寺・清見寺の僧も動員して作成。元和元年（1615）6月完成。羅山は125部2500冊の内、10部200冊を二条城の家康に送り（駿河記には「御覧の処文字鮮明、諸人これを称美す」とあり、一部毎に朱印を押し諸寺院へ寄進した）、家康は同2年（1616）に崇伝と羅山に「群書治要」印刷を命じたが没。没後の刊行となった。
   この銅活字は大小合計10万172字あったが、家康没後駿河を領した徳川頼宣が紀州に転封されるとき、印刷器具を、群書治要残部とともに和歌山へ移し天守閣に秘蔵。弘化3年（1846）再び群書治要を印刷。これを和歌山版または紀州版と呼ぶ。
   同年、天守閣落雷により焼け、銅活字で残ったものは僅か10数箱となり、その後東京の紀州徳川家の倉庫に保管されたが明治31年（1898）南葵文庫創設時に移管。現在重要文化財として凸版印刷株式会社所蔵。

1. 　紅葉山（楓山）文庫は大政奉還後、江戸城明け渡しに際し、即封印され、その蔵書は新政府に移管され、現在内閣文庫が大半を所蔵しているものと思われる。　然し一部は林家経由昌平坂学問所へ移管。即ち明暦3年（1657）の大火により林家の蔵書全損。家綱が羅山の子春斎に60部801冊を贈与。これを「恩賜官本」と言う。静岡葵文庫に26部319冊あり。内閣文庫には見当らない。国立国会図書館等未調査。葵文庫所蔵の中には、秀吉朝鮮出兵時の戦利品、朝鮮将軍宋象賢（東莱城を死守して戦死）の蔵書「新刊趙松雪文集」2巻の他に朝鮮本「十九史略」あり。朝鮮→日本→幕府→林家→昌平坂学問所→静岡学問所→静岡師範学校→葵文庫と数奇な運命を物語る。
   


2. 　伝来の漢籍・和書は基本的に幕末まで紅葉山文庫に継承されたものと思われるが、寛政9年（1797）幕府の官学に改組された昌平坂学問所も林家の蔵書を継承し、新規に和・漢籍・洋書を収集し、多くの蔵書を持った（含む恩賜官本）。昌平坂学問所には「地誌調所」「御実紀調所」「記録調所」の3史局があり、地誌調所では全国的地誌編纂の為の資料収集を行い、資料は「総記」「別記」「遊記」「異国」に分類された。記録調所では資料は「御家」「統紀」「典故」「戦記」「家伝」「談話」「漫録」「附録」に分類された。また「番外書冊」として多くの洋書も所有したが、これ等は後述する専門部局に移管されていったと見られる。
   　湯島聖堂は明治時代に創立された財団法人「斯文会」に継承されているが、旧蔵書は関東大震災により孔子廟の建物等と共に全て焼失し、現在同会には旧幕府時代より継承する書物類は現存していない。
   


3. 　洋学研究部門は下記の様に設置された。
   
   
   • 貞享元年（1684）に天文方設立。
     
   
   
   • 文化8年（1811）蛮書和解御用方設立→安政2年（1855）洋學所設立→安政3年（1856）蕃書調所設立→文久2年（1862）洋書調所と改称→文久3年（1863）開成所と改称。
     更に慶応3年（1867）開成所は幕府外国奉行（外国方）の管轄となり幕末を迎えた。
     
   
   　この蕃書調所が幕府洋学研究の中心機関として活動した。その設立にあたり、紅葉山文庫（御文庫）、天文台より多数の洋書を移管。また長崎より大量の洋書を新規購入した。（当時洋書は長崎で幕府検閲を得て、市販許可を得れば江戸長崎屋源右衛門が一手販売）
   
   
   • 箱館奉行所、諸術調所。享和2年（1802）蝦夷奉行設立。翌3年（1803）箱館奉行と改名。一時廃止されたが安政元年（1854）再度設置。函館は安政元年（1854）から同5年（1858）にかけ米・蘭・露・仏に相次いで開港。来航する諸外国船・外国人著増。よって同地に兵学・洋学研究機関たる「諸術調所」を安政3年（1856）設立。教授に武田斐三郎（あやさぶろう）が元治元年（1864）に開成所教授に転じるまでの8年間、幕府洋学の一方の拠点として活躍した。葵文庫には翻訳和書が伝来する。
     旧幕所蔵洋書の大半は国会図書館（含む昭和29年（1954）上野図書館にて発見された約3000冊の旧幕洋書）・葵文庫にあるものと思われる。

　静岡県立中央図書館内の葵文庫には下記の旧幕府蔵書が静岡師範学校を経由して所蔵されている。



和書　886冊 漢書　375冊 和・漢計1,261冊 洋書　蘭739冊、英362冊、仏1,135冊、独63冊、他26冊 洋書計2,325冊   総計3,586冊


　これ等の旧幕府蔵書が如何にして駿府へ移動し得たかは現時点では不明。
　佐賀藩の江藤新平は江戸市中に潜入、開城と同時に江戸城に一番乗りをし、評定所の大量の行政・法律・裁判の文書を押収。これらの文書は、後に彼が司法卿として新律綱領を初めとする初期明治政府の立法・司法行政を進める時の中心資料となったと言う。また紅葉山文庫は江戸開城とともに封印され、新政府に移管され、現在内閣文庫にありと言う。上記3000冊を越す旧幕蔵書が如何に駿府へ移されたかについての記録は見当らないが、昌平坂学問所からは幕府儒者方が、開成所（江戸城外一橋門にあった）からは、開成所の教授等が、新政府の目を盗み、密かに重要な書物を持ち出し駿府へ運んだものと推測される。推測の理由は　（1）開成所、蕃書調所等の旧幕の蔵書印が消去され、或いは切り取られ、新たに紙を張り、その上に静岡学問所等の蔵書印を押してあるものが多数存在する。（2）洋書に関しては、1850年代後半の当時の最新の西洋書が殆どであり、徳川家の新領地である駿府に於ける教育に必要な最新の知識を選んで持ち出したと思われる、等による。箱館奉行所、諸術調所蔵書の駿河移転が如何になされたかは全く不明。（函館は戊辰戦争の最後の拠点だったが、戦乱の中を非常な努力で蔵書を持ち出して駿府へ運んだものと推測される。）

（1）国会図書館　（2）内閣文庫　（3）徳川黎明会（駿河御分物中の書籍残存状況）　（4）水府明徳会（同様）　（5）凸版印刷株式会社（旧南葵文庫）　（6）徳川宗家所蔵文書調査（徳川林政史研究所寄託）　（7）防衛庁（沼津兵学校にあった軍事関係洋書は新政府に移管。陸海の兵学校に渡ったものと思われる。）以上で、和・漢書、洋書の数の大体を掴めば、残存する旧幕府蔵書の現状の大枠は把握出来ると思われる。

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