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 久能山東照宮博物館

久能山東照宮博物館 展示

7月15日(火)~8月29日(金)
「十四代将軍家茂 ―その人と時代―」

 十四代将軍徳川家茂は、日本近海に外国船が頻繁に出没しつつあった弘化三年(1846)、御三家紀伊徳川家当主徳川斉順の嫡男として江戸赤坂の中屋敷に誕生しました。嘉永二年(1849)にはわずか四歳にして紀伊徳川家の当主となります。

 おりしも十三代将軍徳川家定の継嗣をめぐる政治対立が勢いを増しつつありました。幕政改革をさけぶ改革派の諸大名・幕臣は一橋慶喜(水戸斉昭七男)を推薦しますが、井伊直弼ら門閥譜代層や大奥女性達は家茂を最有力候補者として担ぎ上げます。家茂が十一代将軍徳川家斉の孫であり、八代将軍徳川吉宗以来の将軍家の血統を受け継ぐ人物であったからに他なりません。先例と伝統を重視する立場から見れば家茂こそ相応しく、そのうえ文武両道の君主で、家臣から「御生質御聡明」と讃えられていた家茂を差し置いて次期将軍は考えられなかったといえるでしょう。家定の強い意向により後継者に決定し、家定の逝去をもって安政五年(1858)弱冠十三歳にして十四代将軍に就任しました。

 時はまさに幕府にとって最も困難な時代です。厳しい外圧のなかで政治対立か繰り返され「尊王攘夷」や「公武一和」が叫ばれました。このようななかで十七歳の家茂は皇女和宮と婚礼をあげ、以後二人は朝廷・幕府の立場を尊重しつつ互いに助け合いながら難局に立ち向かっていきます。「公武一和」を実現するため、家茂は三代将軍徳川家光以来二三〇年ぶりに上洛し、和宮の兄孝明天皇の厚い信頼のもとで誠実に将軍職を勤めあげていきました。

 しかし、将軍となってわずか八年、慶応二年(1866)七月二十日、二十一歳の若さで大坂城で逝去します。朝敵となった長州藩を追討するため、滞陣中の最中でした。歴代将軍のなかで陣中で亡くなった将軍は家茂ただ一人です。将軍職の重責と若さゆえの勤勉さが、家茂の生を縮めてしまったことは否めません。

 家茂はまさに激動の時代を一気に駆け抜けた将軍といえるでしょう。この展示を通じて、激動の幕末に真摯に立ち向かった若き将軍に思いを馳せていただければ幸いです。

平成20年7月
公益財団法人 徳 川 記 念 財 団